喉越しも風味も抜群。夏に味わいたい伊勢原の蕎麦とつけ麺

伊勢原の地で永きにわたり支持される二つのお店をご紹介します。伊勢原駅近く、店主のふるさと島根県・出雲の割子そばも提供する「手打そば 越峠(こえど)」と、大山の麓で、宿坊だった建物を改装して食事処として営業する「夢心亭」です。麺の種類は違えども、どちらもツルっとした喉越しの良さと風味が支持される名店です。
出雲の割子そばも評判。手打そばと旬素材の天ぷらが人気のお店「手打そば 越峠(こえど)」


大山阿夫利神社や日向薬師(宝城坊)などの社寺が点在し、いにしえより信仰の地として多くの人が訪れ続ける場所、伊勢原。江戸時代には、関東各地から大山に向かう参詣の道は「大山道(おおやまみち)」と呼ばれ、その主要ルートの一つが、藤沢を起点とし、現在の伊勢原駅近辺を通って大山に至る「田村通り大山道」でした。
伊勢原駅北口のバスロータリー横から、その「田村通り大山道」(現名称は龍神通り)に入り、5分ほど歩いた交差点に「手打そば 越峠(こえど)」はあります。この地で創業して41年になるそば店で、のど越しのよい手打そばと旬の素材を使った天ぷらが評判の人気店です。

風情のある木製の看板と「そば切り越峠」と書かれた麻の暖簾が掛かる入口。季節ごとのおすすめメニューもボードに掲示されています。


温かみのある照明の店内にはテーブル席3卓とカウンターがあり、昔ながらのおそば屋さんという雰囲気です。奥には小上がりがあるので、ご家族連れもゆっくりと食事を楽しめます。

まずは「そば前」のビールで喉を潤しながら、おつまみをいただきます。川海老からあげ、板わさ、湯葉刺し、出汁巻卵などのメニューの中から、店主おすすめの「海老しんじょ」を注文。添えられた昆布塩を少しつけて口に運ぶと、ぷりっぷりの食感とともに海老の甘みと旨味が広がり、思わず笑顔になります。


天ぷらと冷たいそばがセットになった「天せいろう」。そばは北海道の契約栽培農家から取り寄せたもので、石臼挽きされたフレッシュなそばの香り、手打ちならではのザラっとした食感とコシの強さを感じます。そばツユは関東風のすっきりとした辛口なので、のど越しのよい細打ちのそばをちょっとつけて「手繰(たぐ)る」と旨さが引き立ちます。
天ぷらは「キスとメゴチ」、「そら豆と小海老のかき揚げ」など季節ごとにネタが変わり、旬の魚介や野菜を味わえます。
「夏野菜天せいろう」はトウモロコシ、オクラ、トマト、みょうが、ズッキーニ、アスパラガスに万願寺唐辛子という夏野菜7種の盛り合わせで、ほのかな甘みと酸味のある新潟産「山ぶどう塩」をつけていただくと、野菜本来の味がより際立ちます。(天ぷら各種は単品でも注文ができます)


出雲出身の店主ならではの名物メニューが「割子(わりご)そば」。割子と呼ばれる丸い漆器に盛られたそばが三段、あるいは四段重ねになっており、上から順にそばツユをかけていただきます。一段目を食べ終わったら、割子に残ったツユを二段目にかけ、同じように三段目と食べすすみ、最後の割子にそば湯を注いで飲むという、出雲そば独特のスタイルです。割子は小さめのサイズなので、三段でだいたい一人前、四段で大盛りの量となります。
いただいた四段重ねの「割子四代そば」は、分葱(わけぎ)、海苔、もみじおろしといった薬味がのったベーシックなそばと、それにウズラの卵が入ったもの、なめこおろしが入ったもの、とろろが入ったものという4種類(右写真:下段左から時計回り)。重箱の蓋を順に開けていくようなワクワク感とともに、それぞれのそばの味わいの違いを楽しめるおそばでした。
※越峠のそばはすべて、そばの実を皮ごと挽いた「出雲そば」ではなく、一般的な二八そばです。

店主の海野(うみの)さんは島根県出雲市出身。地元の高校を卒業後、アルバイト先の新聞配達店のご主人から平塚で手打ちそば店を営む先輩を紹介され、そこで出会ったそばの味と手打ちの技術に魅了されたことがきっかけで、そば打ちの道を歩み始めることになりました。
平塚の先輩の下で5年間そば打ちの基礎を学び、その後、江戸時代から続く出雲の老舗そば店で5年間修業。そして、1984年に伊勢原で「越峠」を開店されました。
「越峠」という店名は、かつて出雲大社近くにあった地名で、海野さんが生まれ育った場所に因んでいるそうです。
店内には「越峠」と墨書された額や、出雲の伝統的な藍染の風呂敷などが飾られ、海野さんの郷土への深い想いがうかがえます。もちろん、母校大社高校の野球部が甲子園に出場した際には、真っ先に応援にかけつけたとか。
そば打ちを始めて半世紀。
「別に(そば打ちの)こだわりなどはないです」と語る海野さんですが、「(お客さまには)細めに打ったそばの食感とツユのバランスの良さをぜひ味わっていただきたいです」という言葉に、長い経験に基づく職人の自負とそばに対する愛情を感じます。
大山の姿を近くに望めるこの場所に、お店を構えて40年超。
会社勤めの人たちのビジネスランチや家族連れの会食など、すっかり地元に根づき、愛されるお店になった越峠。大山詣りや観光のお客さまも多いそうです。伊勢原の寺社巡りの際に立ち寄り、絶品の手打ちそばを手繰ってみてはいかがでしょう?
※掲載情報は取材日時点(2025年6月)のものです。
INFORMATION
手打そば 越峠(こえど)
伊勢原駅北口から徒歩5分。地元のお客さまが通う手打ちそばの人気店。のど越しのよい細めのそばと辛口のツユのバランスが絶妙です。店主の出身地に因んだ、出雲の名物「割子そば」も人気の一品。旬の魚介や野菜をカラッと揚げた天ぷらはボリュームがあり、おすすめです。
大山豆腐の魅力を一膳に込めて。つるりとなめらかな喉越しのつけめんで涼を味わう「大山豆腐料理 夢心亭」

伊勢原駅からバスで20分ほど走ると、徐々に山の気配が濃くなってきました。江戸時代から続く宿坊が軒を連ね、今なお大山詣りが盛んだったころの面影を色濃く残しています。その通り沿い、「あたご滝」バス停近くにあるのが、「大山豆腐料理 夢心亭」です。宿坊として使われていた建物を改装し、約30年前に開業しました。歴史ある建物の趣を残しながらも、モダンなエッセンスを散りばめた空間で、大山名物の豆腐料理をいただけます。


大山の名水で仕込まれる豆腐は、古くから人々に親しまれた名物です。夏に大山詣りに訪れた参拝客が手のひらにのせた豆腐をすすりながら歩いた、というエピソードも残っているほど。今でも暑さで食欲が落ちたとき、「冷奴であれば食べたい」と思う方も多いのではないでしょうか。
そして、宿坊では宿泊客へのもてなしとして豆腐料理が提供されていましたが、その伝統は今も健在。ただ、近年は豆腐料理イコール会席料理というイメージがあり、「特別な日に食べるもの」と思われがちなのも事実です。
「せっかく大山に来たのに、豆腐を食べずに帰ってしまうのはもったいない」。そう語るのは「夢心亭」2代目亭主の相原さん。伊勢原駅前で登山客等を対象にアンケートを実施したところ、「大山に行くときは昼食を持参している」と答えた人が多かったそう。
もっと気軽に豆腐を楽しんでもらえる方法はないかと、新たなメニューの開発に着手することにした相原さん。当時、コロナ禍で時短営業だったこともあり、じっくりと試作に向き合う時間が取れたのも幸いでした。そうして誕生したのが、大山の恵みを一膳にぎゅっと詰め込んだ「おおやま湯葉つけめんセット」です。

麺は伊勢原を含む湘南エリアで栽培された湘南小麦を使用。茶色がかった細めの麺は一見すると蕎麦のようで、実際に「これは蕎麦ですか?」と聞かれることも多いとか。独特の色味の秘密は、小麦の外皮部分である「ふすま」。ふすまを練り込むことで、小麦本来の香りが引き立ち、風味豊かな麺に仕上がるといいます。あえて細麺にしたのも、小麦の香りが飛ばないよう、茹で時間を短くするための工夫です。こだわりの詰まった麺をひと口すすれば、軽やかな口あたりとともに、ふわりと広がる小麦の香りを感じられます。
そしてスープは、一般的なつけ麺に比べてさらりとした口当たりで後味もすっきり。化学調味料は一切使わず素材本来の旨味を活かして、1時間おきに味を確認しながら2日かけてじっくりと煮込んだ末にようやく完成します。
麺とともに味わう分にはちょうどよい濃さですが、スープだけをすすったときには、やや塩辛く感じるかもしれません。そんな印象に対し、「実は塩はそれほど入っていないんですよ」と相原さん。その味の深みの正体は、酢。適量の酢を加えることで、塩分控えめでも味に奥行きをもたせることが可能になるそうです。相原さんは「塩気だけで味をつくるのではなく、酢とのバランスこそが〝良い塩梅〟を生むんです」と話します。体へのやさしさと、しっかりとした満足感。その両立を追求した味わいには、料理人としての矜持が静かににじんでいます。


トッピングも地元尽くし。鶏チャーシューには、大山豆腐のおからや伊勢原産の湘南小麦を飼料にしている地域のブランド地鶏「あふりしゃも」を、豚チャーシューは周辺地域から仕入れた新鮮な豚肉を使用。伊勢原の養鶏場の卵で作った煮卵と、自家製の湯葉が彩りを添えます。
食べ進めたところで、ミルクポットに入った豆乳をスープに加えて味の変化を楽しんでみてください。豆乳を加えることでまろやかさがぐっと増し、先ほどとはひと味違うやさしい味わいに変わります。「豆乳を加えてこそ〝おおやまつけめん〟として完成するんです」との相原さんの言葉を噛み締めながら、最後の一口まで味わい尽くしましょう。
セットに添えられる小鉢もまた魅力のひとつ。大山豆腐の木の芽味噌がけ、味噌漬け豆腐など、豆腐の滋味をじっくり味わえる品々が並びます。「つけめんはあくまでも〝入口〟で主役は大山の豆腐。豆腐料理に対する敷居の高いイメージを和らげたい」という相原さんの想いが込められています。
食後には、大山産のゆずを使ったさわやかなアイスゆず茶と、やさしい甘さの豆乳プリンをどうぞ。豆乳ならではのすっきりとした味わいに、ふんわりと香るカラメルソースのほろ苦さが絶妙なアクセントとなり、食後の余韻をいっそう豊かにしてくれます。


お食事のあとは、2階にある「大山現代の美術館」にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。伊勢原在住の現代美術作家、清野融さんの作品を中心に並ぶ和の空間に身を置くと、心がすーっと穏やかにほどけていくのを感じるでしょう。

「夢心亭」を切り盛りする一方で、相原さんはさまざまな地域イベントの企画・運営にも注力しています。なかでも力を入れているのが、地元で湧き続けている温泉を活用した地域活性化の取り組み。相原さんは地元の若手商業者たちとともに有志団体を立ち上げ、代表として奔走しています。
「昔は大山に登る前に温泉で身を清めていましたが、現代では山を下りたあとに温泉でリフレッシュしたくなる。そんな時代の感覚に合った楽しみ方を提案したい」と相原さん。単発イベントの開催にとどまらず、将来的には温泉の常設利用を視野に入れ、大山に新たな温泉文化を根づかせたいと考えています。
伝統を大切にしながらも、食や地域文化に新しい風を取り入れる──。そんな相原さんの情熱は料理の中にも、まちづくりにも、静かに息づいています。
※掲載情報は取材日時点(2025年6月)のものです。
INFORMATION
大山豆腐料理 夢心亭
趣のある風格とモダンテイストが融合したお店は、元々宿坊だった建物を現代アート作家監修のもと改築。大山名物の豆腐料理をメインに地場の食材をふんだんに使ったさまざまな創作料理を提供しています。